エリア13

地区だより(28)

けったら喰ったら、く
稲庭うどん

花巻市医師会 ゆうきクリニック 小木田 勇輝

食について精通していない私に、何か書いてくれと言われ困り果てていたが、私は出身が秋田であるから今回は「稲庭うどん」について寄稿してみました。

「稲庭うどん」は、昭和後期より皆さん方が贈答品等や飲食店にて口にできるようになったが、それ以前は、貴重品として高貴な方しか食することができなかった。「稲庭うどん」は、今から約400年前に秋田県湯沢市稲庭町小沢に住む佐藤市兵衛が乾麺を作ったことが始まりと言われている。その後、一旦は途絶えたが寛文五年(1665年)に、佐藤吉左衛門(後に稲庭姓を名乗る)が再興し、乾麺の製法が確立していき、一子相伝として脈々と宗家「稲庭吉左衛門」が現在まで十六代続いている。

また、万延元年(1860年)に宗家の四男が佐藤養助に養子に入り、宗家の製法を伝授し、乾麺の製法を途絶えるのを防いだ。そして、一子相伝の宗家の製法を正統の系譜として「佐藤養助」として七代続いている。各製品の命名が歴史に由来していることが推測される。

現在は、「稲庭うどん」の製造所は18社ほど稲庭町にあり、昔ながらの手作り製法にて製造されている。原材料は、小麦粉、塩、水で、これを合わせた後、練り、熟成、裁断、熟成、小巻、熟成、手綯い、熟成、つぶし、延ばし、乾燥、裁断、選別という工程にて製造されるが、その日の天候に左右されるため、長年の熟練した職人の腕が必要となってくる。各一本一本の麺の断面には、空気穴が開いていて麺が丹念に手で練られた証しであり、各穴が茹でても有ることがコシの強さの要素となっている。

以上より、歴史と伝統を感じながら手づくりの「稲庭うどん」を食してみていただければ有り難いと思います。「稲庭吉左衛門」の「稲庭うどん」は、地元秋田でもなかなか手に入りにくく、「幻の稲庭うどん」といわれ、喉越し、コシ、透明感などは極上と言われ絶賛されています。

※この記事は「医報はなまき」417号(平成27年9月)に掲載されたものを、編集部の許可を得て、一部再編集のうえ再掲しました。

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