家と人をめぐる視点

第15回

聖なる仏と静謐な人々。
ラオス・ルアンパバーンの旅。

住宅・生活誌「家と人。」編集長 加藤 大志朗

街の全域が「世界遺産」に登録

村上春樹の作品の中に「ラオスにいったい何があるというんですか?」(文藝春秋)という紀行があります。

世界各国の旅について書いているのですが、こんなタイトルが付けられるくらい、ラオスはなじみのない国といえるのかもしれません。

昨夏、そのラオス北部にあるルアンパバーンという街を旅しました。14世紀に建国されたランサーン王朝の首都として栄えた古都で、王制は1975年まで続きました。

メコン川と支流のカン川に挟まれた起伏に富んだ地形の至るところに椰子の樹木が茂り、フランス統治時代の白亜のコロニアル建築やショップハウス(華人の店舗兼住宅)、伝統的な高床式住居などが混在。

このコンパウンド(混合体)の美しい街並みが、1995年、世界遺産(文化)に登録されています。

中心部にもデパートやビルはなく、小一時間もあれば自転車で端から端まで移動できる面積に、大小80もの寺院があります。

街並みのほぼ全域が保存地区になっており、保存建築に指定された建造物は約400(寺院を除く)。景観を保全するための法整備は厳格で、取り壊しは原則禁止。改修する場合も、元の建築的特徴に忠実であること等が定められ、近年は、ホテルなどの観光施設への転用が進んでいます。

8000万個の不発弾を抱える国

ラオスはASEAN唯一、海のない内陸国です。面積は、日本の本州とほぼ同じで、国土のほとんどが山岳地帯で人口は約664万人(2013年 ラオス統計局)。

いまでこそ平和に見えるこの国ですが、世界で最も空爆された国であることを知る人は多くありません。

1964年から1973年までの間、ベトナム戦争と並行し、アメリカから空爆を受けた回数は約58万回。爆弾は200万トンを超え、当時のラオスの人口で計算すると1人当たり1トンもの爆弾が落とされた計算になります。

投下された爆発物のほとんどは、対人クラスター爆弾。約3割が不発弾と推定され、18ある地方行政区画のうち10県が、不発弾で深刻に汚染されている地域とされます。

ベトナム戦争とラオス内戦が終結した時点で、国内には推定で約8000万個の不発弾が残されているとのデータもあります。

クラスター爆弾は大型容器に複数の子弾を搭載し、広範囲に爆発物を拡散するため、不発弾はそのまま地雷となって人を殺傷します。

2016年、現役米大統領として初めてラオスを訪問したオバマ氏は「米国はラオスの回復を助ける道義的責任がある」と述べ、以後3年間で、不発弾の撤去に約9000万ドル(約90億円)をつぎ込むことを約束しました。

この施策が順調に進んでも、「数百年」かかるといわれた不発弾処理が「数十年」に短縮される程度といわれています。

 

深い森に抱かれ、大河に寄り添い暮らしてきた人々は、全てのものに精霊が宿ると信じ、街の至るところに精霊を祀る「ピー」といわれる祠を設けています。

一時は、托鉢を禁止するなど、仏教を抑圧する姿勢を見せた社会主義政権も、人々の信仰心まで押し込めることはできませんでした。

民家や店の軒先を彩るのは、ラオスの国花チャンパー(プルメリア)の白やブーゲンビリアの深いピンク。信号も橋もビルもなく、店やレストランから吐き出される音もありません。

怒らず、焦らず、欲しがらず、「足るを知る」人々は、どこまでも穏やかで静かです。

崇高さと誇りを含むその静けさを「静謐」というのだと思います。


メコン川は全長4350キロ。中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムに跨がる世界で10番目に長い大河。祖先たちは中国雲南省から川を下ってルアンパバーンへ南下してきた。ラオス南部にいくと川幅が10キロを超えるところもある。


一時的に出家すれば、食べることが保証され、通学もできる「教育出家」の制度があり、街の寺院には小僧さんたちが多い。


聖なる仏の街という意味を持つルアンパバーン。街なかには大小80もの寺院があり、どこを歩いていても森の香り、小鳥のさえずりに包まれる。「アジアの最貧国」であり「最後の桃源郷」と呼ばれるゆえん。


夕刻、橙色の照明が灯り始めると、街並みが宵闇に浮かび上がる。商業施設からのBGMや呼び込みはない。フランス植民地時代のコロニアルな建築が伝統家屋と調和した美しい街並みは、1995年、ラオスで初めてのユネスコ世界遺産に登録された。


軒先には可憐な花が飾られ、清潔に保たれたエントランスが通りに映える。


ラオスの建国神話は精霊の犠牲の物語。メコンの流れ、森に抱かれて生きる人々は、全てのものに精霊が宿ると信じてきた。民家や街の至るところに精霊を祀る「ピー」と呼ばれる祠。

かとう だいしろう (文・写真)
Daishiro Kato

1956年北海道生まれ。編集者。住宅・生活誌「家と人。」編集長。これまでに25カ国を訪れ、国際福祉・住宅問題などの分野でルポや写真、エッセイを発表。住宅分野では30年にわたり、温熱環境の整備と居住福祉の実現を唱えてきた。主な著書に『現代の国際福祉 アジアへの接近』(中央法規出版)、『家は夏も冬も旨とすべし』(日本評論社)など。出版・編集を手掛けるリヴァープレス社代表(盛岡市)。

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