我が家のペット

二戸医師会 青木 光

最後のはなみち

家には5匹の猫がいる。私と妻と猫たちと一緒に暮らしている。この状況で、もう十数年平和に過ごしてきた。

ところが、そのうちの1匹が突然病気になった。体力十分で比較的若いチャー君に異変が起こった。チャー君は普段、他の4匹たちの先頭を立って歩く、そんな親分格の猫であった。夜中に突然、ニャーニャーと騒ぎまわり、次の日には動けなくなった。エサも食べない状態で、数日すると痩せてきた。さらに、目や歯ぐきや白色の腹や両手足の毛先までが黄ばんで、ささくれたって見えてきた。口のまわりは、気泡と血液の混じった黒褐色のよだれが下顎までたれ、べとべとになってきた。

急いで獣医に連れて行き、診察をしてもらった。採血の結果、肝障害と診断されたが、その原因についてははっきりしない。点滴だけで、様子を見る日が数日間続いた。チャー君は両手足を縮めて小さく四つん這いの状態で、部屋の隅に一日中じっとしていて、ただトイレに行く時と爪とぎの時だけ、1日数回よろよろと動いた。体は益々小さくなり、以前のような威勢や威厳は薄れてしまってきている。

妻も私も寝ずの番で、チャー君と毎日添い寝するようにして頑張っていた。元気になってくれと祈る毎日であったが、チャー君の状態は落ち込み、風雲急を告げてきた。妻は、こんな状況にいてもたってもいられない様子で、チャー君を大学病院へ連れて行くと言い始めた。大学病院へ行けば、病気も治せるかもしれない。チャー君を元気にするには、それしかない。しかし、入院や手術の覚悟が必要だ。入院では、家族から引き離れ、1匹で頑張るしかない。危険も伴うし、ひょっとしたらそのまま死んでしまうかもしれない。いろんなことを考えながら、妻と相談を繰り返し2、3日が過ぎたが、それでも方針がまとまらない。結局のところ保留とし、友人夫婦に相談した。すると、転院を勧められ、別の獣医さんを紹介された。この案も、あまりいいとは思えなかったが、妻が納得するのならばそれも良しと考え、転院を決めた。

体力のなくなったチャー君は、今では通院の際もキャリーの中で小さくうずくまり動く元気もなくしていた。あんなに嫌がった検査も、新病院では先生のすることにおとなしく従っていた。しかしながら、新病院で新しく診断しなおしても、期待に反して病気の原因については、前の病院と同じくわからずじまい。唯一、新しく行われたことは、チャー君の肝障害が猫エイズやその他の伝染性ウイルスによる可能性を考え、別の4匹の猫の健康を確認する事で他の猫たちを血液検査の為、病院へ連れて行くことになった。

当日、先に病院へ連れて来られたチャー君は、いつも通り点滴を始めていた。そこへ、残り4匹を順番に病院へ連れて来て、検査を済ませる予定である。チャー君は、診察室のゲージの中でじっと動かずにいる。そのゲージには上からタオルがかけられ、チャー君からは外の様子は全く見えない。そこに、同じ診療室にある診察台にうちの猫たちが順番に上げられ、採血を受ける。押さえつけられて怖がり、震えてあばれる。最後にメス猫のココちゃんの番になった。ココちゃんは、チャー君が家に来た1年前、すでに家に連れて来られていた猫で実はチャー君の姉にあたる。したがって、チャー君とは体つきや毛並や色合いが良く似ているが、チャー君にはココちゃんが同じ母猫から生まれた自分の姉であることを知る由もない。 そのココちゃんが最後に、診察台に上げられた。嫌がって動こうとしたため、無理やり押さえつけられ、怖がって、ついには悲しそうな声を上げ、ギャーギャー泣き出した。その途端、チャー君が突然動きだし、バタバタとゲージ内で暴れた。ゲージに体をぶつけ出ようとし、それが無理とわかると、ココちゃんに向かってミャーミャーと泣き出した。ココちゃんもこれに反応して、さらに泣き、診察室はひと騒動となった。獣医さんもびっくりして検査が一時中断した。妻も私もびっくりして、互いの顔を見合わせた。チャー君は、自分のこともかえりみず、ココちゃんの危険を察し、猫たちのボスとして、また身内として最後の力を振り絞って助けようとしたのである。

すべての検査が終了し、家に帰る途中、車の中では、先程の騒ぎの影響でしばらくは沈黙が続いた。そして家につく直前に妻が一言、『大学病院へ連れていくのは止しましょう』とつぶやいた。妻はこの時決心したのであろう。私も、同様に決心していた。チャー君は自分の家で家族に看取られながら静かに死なせてやろうと…

この後、チャー君は家に戻って以前と同じに部屋の隅で、四つん這いになり眼は半眼に開いたままうなだれて、じっとしている状況が続いた。でも不思議なことに、その姿は以前とは違って見えて、ちっともみじめには見えない。わずかに、開かれた瞳の奥には威厳のようなものさえ感じるようになった。

数日後、チャー君は、眼を開いたまま横たえて動かなくなり、小さく呼吸して、夜明け前に息を引き取り旅立っていった。

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