家と人をめぐる視点

第25回

日本の家についての素朴な「どうして?」集。

編集者 加藤 大志朗

これまで国内外で取材をしたり、見学した家の数は1500を超えます。建築のみならず「生活」という視座から眺めるだけで浮き彫りになってきたのが、日本の家の不思議。住むこと、暮らすことは生きることの根源でもあります。改めて、日本の家についての素朴な疑問、あれこれ。

01 ドア

日本のドアは訪問者のいる方向に開く外開き。訪問者は、いきなり自分の方に開けられるドアにビクビクしながら、家人を待つことになります。海外のドアが内開きなのは、防犯上の理由から。確かに、外側の相手がドアを開けようとしても、体重をかけてドアを押し戻せそうです。日本では、玄関で靴を脱ぎ、靴を置くというのも外開きの理由の一つ。しかし、屋内でも突然廊下側に開くドアは危険。引き戸は日本固有、世界に誇るバリアフリー建具です。全てのドアを引き戸にすれば、開閉のためのスペースが削減されて建築費は安くなり、開閉時の危険も少なくなるのですが。

02 ドアホン

新築では、ほぼ100%の確率で設置されるドアホンですが、欧米の住宅ではほとんど見掛けません。ドアに「peephole(のぞき穴)」があれば十分ですし、そもそも、機械越しに会話を済まそうとする行為が理解されないのです。ちなみに、わが家では先日、30年使ってきた音だけの玄関チャイムが壊れ、モニター付きのドアホンに交換。呼び出し音が鳴ると、小走りで玄関まで行き、ドアを開ける習慣から抜け出せず、困っています。

03 リビング

かつて、日本の家のどこにでもあった「茶の間」。お茶を飲んでくつろぎ、ご飯をいただき、お母さんが縫い物をし、洗濯物を畳み、その傍らで子どもたちが勉強し、寝室にもなる…空間でした。いまは「茶の間」の代わりに、中心に設けられるのがリビング。そのリビングで何をするのでしょう。「テレビを見たり、家族と会話をする」と答える人が多いのですが、帰りの遅いパパの滞在時間は限りなく短く、子どもたちは夕食後そそくさと自室に戻り、夫婦が2人残されたとしても会話などはなく、応接間として活用するにも、来客は年に一度か二度。リビングルームなる概念はすでに壊れ、気持ちの奥底で、最小限の面積と家具だけの曖昧空間としての「茶の間」の復権を望む日本人も多いのではないでしょうか。

04 子ども部屋

戦後になってようやく夫婦の寝室が普及し、1960年代からは子どもための部屋が増えていきます。部屋には、高価な学習机や本箱、2段ベッド。子どもたちが自室にこもることが、親の安心でした。しかし、欧米諸国では早い時期から子どもに寝室を与えるものの、寝室はあくまで寝るためのもので、寝るまでの時間は家族と過ごすことを義務付けられます。勉強をするにしても、親の気配を感じるダイニングやキッチン、リビングの片隅にあるティーテーブル。スマホを与え、テレビやパソコンなどを置き、子ども部屋の「装置化」が、日本に限らず、アジアの国々で急増しているのは残念なことです。欧米に比べ、強固とされる家族の結び付きこそが、私たちアジア人の誇りでしたのに。

05 キッチン

日本では、メーカー製システムキッチンが主流。しかし「システム」とはもともと、シンクから戸棚、調理台など、メーカーが異なっても組み合わせが可能という意味。日本では、A社の流しにB社の棚をつなぐことも、C社の扉やD社のオーブンを組み込むこともできません。不具合が生じれば、同じメーカー製の高価な部品を買わされ、少しの故障で、まるごと交換せざるを得ない状況に追い込まれます。作る、焼く、洗うなどの家事機能を全て盛り込んでも、大工さんに造ってもらえば10分の1前後のコストで済むものを、高いコストを費やしたキッチンで、買ってきた総菜をチンするのって、理解できないのです。

ついでに、対面キッチン。テレビを見ながら、家族と会話しながら家事ができる、というので人気ですが、料理好きの私でも、テレビを見ながらキャベツの千切りはできません。家族と会話をするのなら、さっさと調理を終え、料理を食べながら、というのが本音。もっと、不思議なのは、リビングを見渡す位置に流し(シンク)があること。洗い物をするとき、ジャブジャブという音がリビングにまで響き渡り、会話を楽しむことなどできません。あくまで、私の中の統計ですが、家事の上級者ほど、狭くて安価で、リビングに背を向けるタイプのキッチンを好む人が多い気がするのです。

06 収納

玄関の床から天井、トイレや洗面、キッチンの壁全面、小屋裏、天井裏、半地下、階段下、ベッドやベンチ下、床下に至るまで、ありとあらゆるモノが「隠される」日本の収納。この1年間、一度も触れなかったモノは家の中に、どれくらいあるでしょう。365日、家族の全員が、一度も使わずに生活できたのですから、全て処分しても、生涯、暮らしていけるのです。モノを「隠す」ためだけに坪単価数十万円もコストをかけた憧れの収納は、無駄の権化。にもかかわらず、ハウスメーカーも住宅雑誌も「もっと収納を増やしましょう」の大合唱。ビルダー側は建築費を稼ぎ、メディアは広告収入と部数アップをたくらみ、あらゆる攻勢をかけてきます。「もったいない」を唱えてきた世代の方が、若い世代に比べて、モノを「隠す」傾向が強いことも付け加えておきましょう。


かとう だいしろう (文・写真)
Daishiro Kato

1956年北海道生まれ。編集者。これまでに25カ国を訪れ、国際福祉・住宅問題などの分野でルポや写真、エッセイを発表。住宅分野では30年以上にわたり、温熱環境の整備と居住福祉の実現を唱えてきた。主な著書に『現代の国際福祉 アジアへの接近』(中央法規出版)、『家は夏も冬も旨とすべし』(日本評論社)など。出版・編集を手掛けるリヴァープレス社代表(盛岡市)。

「システムキッチン」ではなく、職人の手わざで造った素朴なキッチン(イタリア・トスカーナ)。最小限の調理用品・食器をあえて「見せる」収納。

ストラスブール(フランス)

ブレーメン(ドイツ)

小樽
家やビル、あらゆる建築に携わる人が街の全体像を把握し、100年先まで考えた家と街を造り続けてきたヨーロッパ。ストラスブール(フランス)やブレーメン(ドイツ)では、建物の個性を主張しながら、景観を意識したデザインが見て取れる。日本でも小樽のように、古い建造物をリノベーションし、昔の街並みを復活させる事例が増えてきた。

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