家と人をめぐる視点

第23回

小津映画に学ぶ、
日本家屋の空間美、家族の絆。

編集者 加藤 大志朗

静けさの中に漂う
家族の緊張感

戦後、日本でも多くの名作映画が生まれました。1951年にはベネチア国際映画祭で黒澤明監督の「羅生門」がグランプリを受賞。その後も、日本映画はベネチア、カンヌ、ベルリンなどの国際映画祭で受賞を重ね、今年は濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」が日本映画初となる作品賞、脚色賞などにノミネートされたりと、グローバルな躍進を続けています。

そんな中でも、いまなお世界的に高い評価を得ている日本映画の一つが、小津安二郎監督の「東京物語」(1953年)です。2012年、英国映画協会(BFI)「映画監督が選ぶベスト映画」部門では1位を獲得。同ランキングは、BFIが1952年から10年に1度発表するもので、この年の2位はオーソン・ウェルズ監督の「市民ケーン」とスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」でした。

ヴィム・ヴェンダース監督「東京画」(1985年)、ジュゼッペ・トルナトーレ監督「みんな元気」(1990年)、侯孝賢監督「珈琲時光」(2004年)、山田洋次監督「東京家族」(2013年)など、同作品をオマージュした作品が相次いで制作されたことも、この作品が世界の映画人に影響を与えてきたことを示しています。

物語は、シンプルです。故郷の尾道から子どもたちが暮らす東京にやってきた老夫婦。子どもたちの家を訪ね歩きますが、すでに都会の暮らしになじんだ子どもたちは忙しく、自分や家族のことで精一杯。戦死した次男の未亡人だけが、昔と変わらないやさしさで接してくれる──という内容です。

映画は大きな起伏もなく、地方と都会、親と子、大家族と核家族、過去と現在、家屋とアパート、「座」と「立」の生活、平面と奥行きなど、戦後急速に変わっていく日本の文化や家族を対比させながら、緊張感を孕んだまま展開していきます。

ローアングルから
「間」の美学

小津作品に共通しているのは、カメラが人物を追う撮影手法ではなく、固定された構図に人物が出入りすることです。徹底したロー(低い)アングルで茶の間の家族を映し、畳や板の間、襖や障子や格子戸、縁側やその向こうにある庭、廊下やその突き当り、鏡台やちゃぶ台や座布団、茶わんやお椀や箸など、建具や家具、食器、空間の陰影までも介して、日本の建築と日本人の所作を切り取ろうとします。

個々のショットは工芸品のような完成度で、そのつながりは日本建築や伝統音楽に共通した「間」を生み出します。そして、その「間」は強固に見えながらも、実は脆さを抱える家族の内実を示唆するようでもあるのです。

私ごとで恐縮ですが、この映画を観てからは、建築写真の撮り方が大きく変わりました。従来は三脚を使用し、立った位置での目の高さで空間を撮っていましたが、以降は床に座るか立膝をした高さからカメラを構えるようにアングルを変更したのです。

家や暮らしが洋風化したとはいえ、日本人の暮らしはいまも「座」が基本。「立」ではなく「座」に軸を置いて空間を眺めることで、未熟ながらも、日本の暮らしの根底に流れる秩序のようなものを表現できそうなことに気付いたのでした。

古民家や寺社仏閣を訪ねる機会がありましたら、立ったまま空間を眺めるだけではなく、四隅のどこかの床に、かがむか座るなどして眺めてみて下さい。これまでに気付かなかった日本建築の美しさと安定感、空間に漂う懐かしさのようなものを発見できるはずです。


©1953 松竹株式会社
老夫婦・周吉ととみ(笠智衆・東山千栄子)に親身に接してくれたのは、戦死した次男の未亡人紀子(原節子)だけだった。しかし、とみが帰りの列車で体調を崩し、尾道に帰ってから亡くなってしまう。子どもたちは尾道に呼び戻されるが、葬儀が終わると、そそくさと都会に戻る──。ローアングルから眺める日本家屋での日常は、世界中の観客の視線を安定させる効果があったのではないか。

忘れてきたものを
見つける映画

全編を通して、雨の場面がほとんどないのも小津作品の特徴です。外はいつも穏やかに晴れ上がり、心地よさそうな風に、洗濯物がのんびりと揺れるような日常。せりふは単調ですが、どの作品でも、リフレインが多いことも特徴といえます。

「いいよ、いいんだ、いいんだよ」「すごいな、すごいすごい」「そうかね、そんなものかね」「そうよ、そうなのよ」といった会話が、人と人との関係性を表し、それでいて、その関係はいつまでも続くものではないという〝無常〟を表現しているかのようでもあります。

狭い空間に複数の人が住まう家では、家族といえども、社会とは異なる節度が要求されます。映画の中の人たちは、沈黙を恐れながらも強い主張をせず、孤独を隠しながらも人とつながり、日常を無碍にすることなく生活を営もうとします。

人が生まれ、成長して家庭を持ち、やがて老いては死んでいくという、 世界中の家族に共通したテーマを深めることで、小津の作品は日常のあれこれを「選択する」のではなく「引き受ける」ことの大切さを伝えようとしてきたのかもしれません。

泣ける映画を観るなど「涙」を意識してストレス解消を図ることを「涙活」というそうですが、「東京物語」をはじめとする小津作品は、むしろ涙とは無縁です。

しかし、何度観ても、どこかに大切な何かを忘れてはこなかったか、というあてどない焦燥感に駆られる気がしてならないのは、私だけではないでしょう。


かとう だいしろう (文・写真)
Daishiro Kato

1956年北海道生まれ。編集者。これまでに25カ国を訪れ、国際福祉・住宅問題などの分野でルポや写真、エッセイを発表。住宅分野では30年以上にわたり、温熱環境の整備と居住福祉の実現を唱えてきた。主な著書に『現代の国際福祉 アジアへの接近』(中央法規出版)、『家は夏も冬も旨とすべし』(日本評論社)など。出版・編集を手掛けるリヴァープレス社代表(盛岡市)。

© 松竹株式会社
小津安二郎監督「東京物語」。作品はモノクロだがポスターは手描きのカラー。タイトル文字、絵画、デザイン共にどこか懐かしい。

屋内の風景はローアングルながら垂直性を守り、天井と床面の両方を正確に捉える。小津作品から学んだ撮影手法。

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