● 霊 峰 五 葉 山 ●
気仙医師会/県立住田病院 佐藤 芳行

 標高は、 1341メートルで大船渡市、 釜石市、 住田町の3市町にまたがっており、 当地区のシンボル的存在である。 毎年山開きになると多くの登山客でにぎわう。 藩政時代には伊達藩直轄の山であり、 林産資源が豊富で、 重要な山であったことから 「御用山」 と呼ばれ、 後に五葉松になぞらえ 「五葉山」 と呼ぶようになった。 五葉山は北上山脈の最南端に位置し、 頂上からの眺望は素晴らしく、 南は金華山から北は山田湾まで太平洋を眼下にできる。 内陸に目を転ずれば室根山、 須川岳を南西に、 早池峰山を北に、 遙かに岩手山、 駒ヶ岳をも見霽かす大パノラマが現出する。 山頂部は全体として高原状である。 五葉山は三陸海岸への展望がよく、 海上からの目標となっている。 「五葉つぶし」、 「氷上つぶし」 という言葉をある碩学よりうかがった。 漁師の海上における陸からの目測距離であり、 陸から次第に遠ざかると先ず氷上山がその高さを失い、 水平線に没する。 その距離およそ50マイルといわれる。 さらに遠ざかるとついに五葉山も平坦化し、 その距離およそ70マイルといわれている。 若い漁師の技量の成長通過点ともされ、 親や先輩漁師から与えられる課題でもあったという。 五葉山の植物では、 ハイマツなどの高山植物が生育しており、 シャクナゲや固有植物のゴヨウザンヨウラクもみられる。 忘れてならないのは、 ここから産出するヒノキの皮は住田町の文化遺産とも言える火縄銃鉄砲の火縄の原料となっていた事である。 現在は各種イベントに住民で編成された鉄砲隊が参加し、 その煌びやかな鎧甲を纏った勇姿と轟音を鳴り響かせて一斉に鉄砲をぶっ放すワクワクする瞬間は是非一度御覧頂きたい。 五葉山の動物については、 本州におけるニホンジカの北限地であること、 ニホンザル、 カモシカ、 ニホンツキノワグマ等、 野生動物の宝庫でもある。

 五葉山は昔より当地方の人々から霊山として厚い信仰を寄せられていた。 山頂には延暦20 (810) 年に創建されたという五葉山日枝神社があり、 天照大神など5柱の神々を奉っている。 五葉山神社を気仙総鎮守と定めたのは、 蝦夷征討の際の坂上田村麻呂だと伝えられている。 ところでこれも前記碩学より拝聴したのだが、 大船渡の隣町に下船渡がありここの昔の名は下大船渡であったとの事、 また住田町には上有住 (カミアリス)、 下有住 (シモアリス) の町があるが、 これらの町名の 「上」、 「下」 は京都や平泉に対してではなく、 まさにこの五葉神社からの位置関係に由来するとのことであった。 五葉神社は斯様に歴史があり、 また数少ない式内社とされている。 さて、 物の本には次のような面白い記載があった・・・ムーが壊滅した時に逃れてきた人たちが、 五葉山に古代王朝をつくったという伝説です。 その証に、 アトランティス人が使っていた 「オリハルコン」 という物質と同様な 「ヒヒイロガネ」 という物質が、 五葉山にあったというのです。 「ヒヒイロガネ」 とは、 太陽の光に比べられるような明るい金、 という意味だそうです。 後の平泉の黄金文化との関連を考慮すると、 この話も全くの法螺話ではないかもしれません・・・。 五葉山のみどころに、 「日の出岩」 があり、 これは山頂近くにある巨大な石柱で、 その威容は古代人工物の廃虚を思わせるほど不思議な構造であり、 神秘的である。 さてはこれかな、 古代王朝の神殿の痕跡は!?

ビバ!五葉山!

晴天の五葉山頂。 左に岩手山、 右に早池峰山を望む
(1999年11月、 荻野七朗・撮影)


大船渡市日頃市町字長安寺から望む五葉山
(2001年2月、吉田 繁・撮影)



目次へ前のページへ次のページへ