我が家のペット

盛岡市医師会 大日向 充

6年前の3月にコニーは生まれた。母猫は12才と高齢で、他に2匹生まれたが1匹は生後直ぐ死に、他は死産であった。また数年前から乳が出なくなっていたため仔猫は私が育てることになった。猫用ミルクを一日6回与え、夜は両掌で包んで温めてから布団に入れて一緒に眠った。不思議なことに押し潰すという懸念はなかった。寝苦しくもなかった。そのうち仔猫は空腹になると布団から出て来て耳たぶをチュチュと吸うようになったので、夜何回か起きてはミルクを温めなければならなくなった。

当時我が家には他に父猫のブラン(白色11才)、兄猫のチャネ(赤黄色8才、いずれもペルシャ)がいたので、いずれはどこかにくれてやるつもりで仔猫には名を付けずにコネコ、コネコと呼んでいた。それがコネ、そしてコニーとなったのである。

コニーはよく下痢をした。というより固形便は全くしないで、下痢ばかりである。しばしば布団が汚れ被害は私にまで及ぶようになり、当院の従業員に獣医に連れていってもらった。

「鎮肛ですね。完全ではなくピンホール状で下痢が出て生きているのです。手術が必要ですが小さいので可能かわかりません。大学病院に紹介状を書きます。」女性獣医師の声が受話器から響いた。鎮肛だって!手術不能!どうしよう!私は一瞬にして身障児の親になったのだった。どのように返事をしたか覚えていない。従業員に連れられてコニーが帰って来た。安楽死の選択肢も考えなければと言われたと従業員は泣いていた。

翌日コニーはカミさんと大学病院に行った。獣医師から電話があり、一週間後に手術をすることになった。獣医師は600gの体重での全麻の経験が無い。あとは術後の感染が心配ですと付け加えた。

先天性疾患の子供を何人も診たことがあったが、親の不安や悲しみまで心配りをしなかったのではないかとまで考えた。

コニーは自由に歩き走り、よく食べ元気そのものだったが、見る度に不憫が募った。手術の4、5日前には直径3o、長さ2p程の固形便をするようになった。しかし手術は避けられないと覚悟はしていた。でも便を写真に撮った。手術の前日の朝信じられない光景を目にした。大量のスパゲティ状の便と側に横たわるコニーの姿。涙がボロボロこぼれた。「コニー、よくやった。よくやった。」疲れきっているコニーを抱き上げ頬ずりした。獣医師に電話すると「便が出たならそれでいいです。」と抑揚のない声で答えた。

その後コニーは前肢後肢をそれぞれ交叉させウーッと声を出して腹圧をかけての排便を繰り返し、終に通常の排便を可能にした。そしてオスであることが判明した。時々、コニオと呼んでいる。

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コニー