エリア13

地区だより(7)

聖蹟記念塔

盛岡市医師会 山田行夫

盛岡市役所から中央通を左手に東警察署、検察庁、右手に岩手県庁、裁判所を見ながら約500m進むと映画館通りと交差する。

この右手前、北日本銀行隣りに「日影門緑地」がひっそりと佇んでいる。ここが城下盛岡、南部藩20万石の藩校「作人館」の跡である。そしてこの地に明治天皇の東北巡幸を記念して聖蹟記念塔が建っている。明治天皇は当時の仁王小学校に行幸され生徒の授業をご覧になられた。(選抜生徒男女71名の読書、地理問答暗算問答の授業と盛岡8校1500名からの選抜401名の連合体操)

記念塔は金鵄をいただいた五角柱で正面には「知識を世界に広め大いに皇基を振起すべし」、裏面には「明治9年7月7日明治天皇臨御仁王学校址」と彫られている。仁王小学校は、明治6年(1873)4月の創立で明治5年に廃止された元の「作人館」の建物内に設置された県下第一番目の小学校である。

即ち旧仁王小学校跡の聖蹟記念塔はその前身である藩校作人館の旧蹟とも併せて標示していることになる。1865年に藩校「明義堂」を改称して「作人館」となった。東に日影門の内堀(北日本銀行付近)から西に仁王門の外堀(北山〜四ツ家地蔵さん〜土橋に至る、現在の秋田銀行付近を流れていた赤川)までの48間×40間(1920坪)を占めていた。構内には文学教場「修文所」、武術教場「昭武所」、医学教場「医学所」、そして明治維新後は「洋学所」も設けられた。それらを統括して「作人館」と称していた。

喧騒の町の中にあってこの静かな空間に坐して大きな欅の下で往時を偲ぶ縁とするのは如何だろうか。


平成22年9月 盛岡タイムス

城下町盛岡町名由来 看板

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