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いわてのこんなところ
「盛岡駅界隈」
盛岡市医師会 菅原 克郎
 最近、旅行から戻って盛岡駅前広場から駅周辺を見回すと、高層マンション、ビル群が林立し、結構な人々の賑わいがあって、まるで東京都内の何処かの駅に降り立ったかのように感じる。そして「盛岡も都会的になったなあ・・」と。
 昭和25年、父親に連れられて二等車(当時は一等車から三等車があった)に乗って約13時間を費やして初めて上京した時は、盛岡駅は木造建築であった。到着した上野駅構内は戦災孤児などの浮浪者が溢れていた。
 昭和38年、予備校へ大勉強(?)のために上京する際は、モルタル木造建築というのか貧相な盛岡駅であった。新幹線はなく、準急・急行があり、所要時間が8〜9時間の特急電車が走り始めた。
 昭和57年6月、盛岡−大宮間に東北新幹線が暫定開業し、当時小学生の息子の手を引いて開業記念行事を見に行った。「東北新幹線時代」の幕開けであり、駅ビルも開業した。その後、東京駅まで開通している。
 そして、平成14年12月に東北新幹線も八戸まで延線となり、盛岡駅ビル内も大きく変わってきている。そして、駅前には28階、18階、15階のタワーマンションが建設された。今年1月10日には盛岡市と玉山村が合併し、念願の人口数30万人を超えている。盛岡駅西口には既に25階建ての複合施設「マリオス」があって、今年中には県立図書館も入居した多目的施設も完成する。そして、3月27日、開運橋の下流約100mのところに「不来方橋」が開通する。私の診療所もこの都市計画路線にかかって、不来方橋のたもとに移転をした。27日には開通式のセレモニーがあった。市役所の担当者が来て「ぜひ、先生にも参加して欲しい」と、「テレビ撮影があるだろうし、俺が何か悪いことをした時に、その場面を使い回しされるから厭だ。出ない」と断り続けた。
 とにかく、盛岡駅界隈は日々変動し続けている。岩手県内は不況の真っ只中というのに、ここだけは見せ掛けの繁栄に踊らされているような賑わいがある。
 
IWATE MEDICAL COOPERATIVE ASSOCIATION●No.61