徒然のやぶにらみ 心の猛き外科医も5〜6歳の童子に泣かされた話

テクノボー医院 石川 茂弘

 若かりし頃。 ある日、 私は大学病院の病室で新しく入院した患者の病歴を取って居た。 一つ置いた隣のベッドに県境に近い小さな町の私鉄の駅長さんが入院していた。 彼は胃癌も末期で癌性腹膜炎に罹り全く骨と皮の様に痩せ衰えFacies hippocraticaを呈していた。
 偶々、 その駅長さんの所に、 近所か親戚の小父さんに連れられて子供二人が見舞に来ていた。 自分の仕事の患者のアナムネーゼを取り乍ら聞くとは無しに聞いているとその子供達は、 兄は小学校の一年生、 弟は未だ学齢前であった。 彼らは学校で起こった事や近所のトピックスを父親に聞かせていた。 そのうちに父親から夫々に小遣を貰ったらしく 「お父さんどうも有り難う、 今度これで何を買うんだ、 前から欲しいと思っていたんだ。」 等と話をしていた。 父親も、 おそらく自分の運命を覚っていたのであろう、 万感胸に篭った様な顔をして子供達の話を聞いていた。 私は自分の仕事を終えその部屋を出た。 15〜6分後にその部屋の前を通ったところ丁度その子供達がドアを開けて帰る所であった。
 ところが、 「お父さんまた来るね」 等と言ってドアを閉めた次の瞬間、 先刻迄あんなに快活だった子供二人が肩を抱き合って声を忍んで泣き出したではないか。 これを見た途端、 私は堪らなくなって廊下の端の誰も居ない手術室目掛けて白衣の裾を翻して突進していた、 廊下もドアもぼやけて来た、 辛うじて間に合った、 誰も居ない手術室に飛び込むと同時に涙が溢れ出した。
なんと言う健気な子供たちであろう、 病室でのあの快活な態度、 しかし胸の内ではなんと悲しんでいた事であろうか。 こういう子供たちを育てた母親というのはどんな婦人であろうか、 またその家庭はどんな家庭であろうか。 昔から 「女ながらも武士の妻」 という言葉がある、 おそらく理性と優しさを兼ね備えたお母さん (達) に育てられたのであろう。 今の日本にこういう家庭が何%あることであろうか。 幼児時代からこういう家庭で育てられれば17歳になって突然切れる様な事は起こらないのではないだろうか。


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