人物クローズアップ

人物クローズアップ vol.21

「凡医尽人」をモットーに
産科から小児科までの一貫体制で
周産期医療の分野を広げる

いわて医師協同組合 副理事長
医療法人緑生会 西島産婦人科医院 理事長 西島 光茂(盛岡市医師会)

父の背を見つめて医師に
産婦人科医として2代62年

佐賀の出である父の西島喜輝が、盛岡市上田に「西島産科婦人科」を開院したのは昭和30年6月のことです。祖父の渡鮮により当地で生を受けた父は、平壌医専の学生のときに敗戦となり、引き揚げ後は長崎医大に進んだのですが、戦災により設備も整わない劣悪な状況だったため、比較的食糧事情の良い岩手医専に転学し、そのまま盛岡の人となりました。

父は平壌医専でお教えをうけた小原喜重郎先生のすすめもあり、平壌医専の同級生らとともに学生時代から岩手県の開拓巡回診療医療班の1人として僻地の無医村地区を回っていました。岩手山麓や北上山地の開拓地、沿岸の奥地まで、医薬品をリュックに詰めて背負い、山間の悪路を歩いて行ったそうです。

3、4年前、私も父が巡回診療で歩いた岩手山麓の集落を訪ねてみましたが、本当に驚きました。今でこそ道もきれいに舗装されて車で行けますが、当時は鉄道で行ける所まで行き、その後は歩きトラックに会うと途中まで荷台に乗せてもらったそうです。山を越え、谷を越えて半日以上も歩き続け田野畑村まで行ったと聞いたことがあり、想像を絶するほどの難儀な道だったと思います。

病院を開業してからも時間を見つけては僻地めぐりを続けており、そういう父の背中を見て育ったものですから、私もいつしか自然に医師の道を志すようになりました。

周産期医療体制の
システムの構築

父の影響もあり、私は岩手医大の産婦人科へ入局しましたが、関心は胎児と新生児医学を包括した周産期医学にありました。当時、欧米ではかなり進んでいたものの、日本では胎児に関わる研究者は少なく、まして岩手県ではまだ取り組んでいない分野でした。

それまで正常な妊娠状態であった人が何らかのきっかけで異常をきたした場合、周産期医学が進んでいればより早く発見でき中核病院に搬送することができます。しかし、その頃は新幹線もインターネットもなく、交通の便も悪いし情報の伝達もままならない状態でした。そもそも搬送する考えすらなかったのです。

昭和55年、岩手医大小児科の若生宏教授に声をかけていただき、日米の小児科の医師たちを集めて盛岡で開催した「US-Japan Cooperative Medical Science Program」に、私はただ一人の産婦人科医として参加させていただきました。その時に「患者としての胎児」という発表があり、「自分が求めていたのは、まさにこれなのだ」と確信しました。また、その時、次期小児科教授となる藤原哲郎先生(当時は秋田大助教授)と初めてお会いしました。

その5年後、ドイツ方式の医療システムを研究するため、私は妻子を連れてドイツに留学し、ベルリン自由大学周産期研究所の客員研究員となって、周産期の世界的権威者であるザーリング教授のもとで世界最前線の研究を学んできました。

岩手県のデータに基づいた周産期の医療体制がシステムとして構築されたのは、昭和60年代に入ってからです。ドイツから帰国後、全県から搬送されてくる症例を小児科の先生方と検討会をし、問題点をあきらかにし、対応を練っていきました。それまで、岩手県の周産期の死亡率は高かったのですが、徐々に緩和され、現在、岩手の周産期医療は日本でも屈指のレベルだと思います。

私が父から病院経営を受け継いだのは平成3年のことです。自ら提唱してきた医療を現在も継承し、異常が見られる場合は早めに判断して母体を近隣病院に送り、決して“急患”にはしないように努めています。

妻は昭和63年に当院の隣に「西島こどもクリニック」を開院しておりました。以来、お互いの専門分野を連携させ、産婦人科から小児科まで一貫した医療を提供していることも当院の大きな特色です。データベースはすべてこどもクリニックにも送り、妻は小児科医として赤ちゃん誕生の瞬間から、当院で生まれた子どもをフォローしています。

「凡医尽人」の教えを
次世代に継ぐ

分娩は都市だけにあるのではなく地方にもあり、各々の医療施設が問題点をあきらかにしながら、その地域や都市の実情に合わせた産科医療システムを構築する必要があると思っています。これからは個人で開業する時代は終わり、例えば友人などと一緒に複数で開業する時代になるかもしれません。

また、我々開業医にとっては、医師協は多くのメリットがある組織です。例えば、さきの東日本大震災の時は全国医師協同組合連合会から多大なお見舞金をいただき、執行部で対応方針を確認したうえで、事務局が早急に沿岸の先生方を回って復興の資金に役立たせていただくことができました。私も当時、総務担当の常務理事として感謝の思いでいっぱいでしたし、これは医師協に加入していればこその大きな力だと思いました。

3人の娘たちは、幸いにも医師の道を歩んでいます。

次代を担う世代に伝えたいことは、父から受け継いだ「凡医尽人」という言葉です。これは父の造語ですが、「決して自分を偉いと思うな。むしろ、人々の横にいて皆さんが十分に自分の仕事や人生を全うできるように、そのお手伝いをしていくのが医師の務めである」という教えと考えております。

医師たるものは、社会的に3列目か4列目に控えているのが一番いいのではないでしょうか。

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西島 光茂

にしじま・みつしげ

1949年盛岡市生まれ。1978年岩手医科大学医学部大学院を卒業。八戸赤十字病院産婦人科部長、岩手県立中央病院産婦人科医長、岩手医科大学産婦人科医局長、岩手医科大学医学部産婦人科講師などを経て1991年に西島産婦人科医院を継承開業。その間、1985〜1986年にベルリン自由大学に留学。1998〜2015年岩手大学教育総合センター非常勤講師、2012〜2015年岩手医科大学医学部非常勤講師を務める。2015年より周産期・新生児学会功労会員。現在、いわて医師協同組合専務理事。

 


昭和55年、盛岡で開催された「US-Japan Cooperative Medical Science Program」にただ1人の産婦人科医として参加


隣り合う「西島産婦人科医院」と「西島こどもクリニック」。産婦人科から小児科まで一貫した医療を提供している

西島家約100年の歴史を要約した『凡医尽人』(平成14年3月発行)

病院の前に鎮座する「地蔵願王尊」。地域の人から「子育て地蔵」として親しまれている

西島産婦人科医院の待合室

西島産婦人科医院
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盛岡市上田1-19-11
TEL.019-624-5855
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産科、婦人科、婦人内科
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